やることに意味がないことはない
何かをやり始めてみたところで、
効果を感じられないことはたくさんある。

「これって効果あるのかな」
「続けても意味ないんじゃないかな」

ぐらいなら、まだ続けそうだけど、

「思っていたのと違う」
「時間の無駄」

と思ってしまえば、もう終わり。
続けることを辞めてしまう。

僕は、
「やってきたことに意味がないことはない」
と思っている。
時間を使い、時にはお金も使い、
大げさだが何かにチャレンジしたことで
無駄なことはないと思う。

例えば、僕は高校3年生のときに
大学受験に失敗して、浪人している。
その1年がもったいないと
思う人も多いかもしれないが、
とてもいい経験ができたと思っている。

浪人時代にろくに勉強もぜず、
行きたい大学に行けなかったにもかかわらず、
そう思うことができた。

とは言え、そう思えたのは、
ずいぶん経ってからであることもお伝えしておく。

おそらく、何ごとにおいても
“成功”か”失敗”
で物事を見ることがよくある。

“失敗は成功の基”
“成功するまで続ければそれは失敗ではない”

という
偉人の言葉を聞いたことがあるかもしれない。
それはその通りなのだ。

僕の大学受験の例で言えば、
現役合格が”成功”なのか?
浪人は”失敗”なのか?
浪人したのに志望校に行けなかったのは
“失敗”なのか?
という視点で見てしまう。

それらは別に間違いではないと思う。
実際に、
合格できなかったこと自体は”失敗”である。
なのに、
あとで無駄ではなかったと思えた理由もある。

つまり、
その”失敗”をその後どう生かしたか?
いい経験ができたと思うのか、
失敗した自分を卑下して生きていくのか。

残念ながら、時間は戻らない。
誰にも戻せないものだ。

もし仮に、
浪人して志望校に受かっていたら、
違う人生があったはず。
現役で大学に合格していれば、
違う人生があったはず。

でも、”1年浪人時代を過ごした”
という景色を見ることができた。
“浪人生”を1年間体験することができた。
高校生でもない、
大学生でもない、
社会人でもない、
未成年。(当時は、19歳は未成年)

この何とも言えない不安定な立場(笑)
これはこれで面白かったなと、
今となっては思える。

目の前の結果や状況に追われて、
それが”成功”なのか”失敗”なのか、
という判断を迫られることって多いと思う。

でも、本当の”成功”や”失敗”って
もっと後になってわかることもたくさんある。

もっと言えば、
今の自分の人生が
“成功”しているのか
“失敗”しているのか
これは、まだわからない。
仮に成功していたとしても、
失敗に転じることもある。

何かにチャレンジしていて、
成果を感じられていなくても、
それは、
見えないだけで効果は出ている。
そこに気付けなくても、
後々わかることもある。

自分が経験したことや
体験したことは、
絶邸無駄ではない。
それを、
いつかどこかで
活かすことができる場がある。

ただし、
それを見つけるのも自分である。